日本は長い歴史を持つ国です。
大きな変化も、小さな変化もたくさんあって今があります。
税金の世界についても同じことが言えます。
税金の歴史は長いですが、今の形のベースができたのは明治時代以降です。
どんな変化を経てきたのか?
明治時代以降の税制の変化の流れをまとめます。
今日、髪を切りに行った、美容師さんとお客さんの会話で、時代が変わったのに、気づかない。と言う言葉を、ふと耳にした👂。たしかに時代は、変わったようだ、街も人も変化している。
— 1120? (@reokaze) 2018年8月6日
目次
明治時代以降の近代税制の歴史を振りかえる
国税と地方税、直接税と間接税から成るのが今の税金のシステムです。
このような現在の税金のシステムができたのは明治時代以降です。
明治時代以降の税金のシステムを近代税制と言います。
ここでは、近代税制の歴史を振り返ります。
明治~戦前:近代税制の基礎が出来上がっていった
所得税や相続税、源泉徴収制度など、近代税制の基礎ができていったのはこの時期です。
システムが組み上がり、社会の変化に合わせて税制も変化していきました。
戦争へと向かうにつれ、税金の種類が増えていきました。
徳川幕府が潰れて安定した税収が必要だった
皆さんご存知の通り、幕末は劇的なストーリーの連続です。
250年以上続いた徳川幕府が倒れ、時代は明治になりました。
新明治政府の課題は、「安定した税収」でした。
地租改正
安定した税制を確保するためにできたのが地租改正です。
1873年のことでした。
これにより、お米の収穫高を元に算定することになり、「キャッシュで納税せよ!」ということが決まりました。
これが地租(地税・税金)です。
同年に証券印紙税、2年後に煙草税&種類税という間接税が創設されました。
地租改正の5年後、1878年、地方税規制が制定されました。
こうして地方税の整備が図られていきました。
メモ 地租改正により、人材の流動化や職業選択の自由など、税収の安定以外にも様々な影響がありました。 調べていただくとわかる通り、地租改正という出来事は、大きな出来事です。 今回は近代税制の歴史をテーマにしていることもあり、地租改正の中でも一部のことを抜粋しています。 そのことをご理解ください。 気になるコトがあれば、掘り下げて調べてみてください。面白いはずです。 |
所得税ができたよ
1887年、所得税が創設されました。
このとき、課税対象者は高所得者のみでした。
納税者数は約12万人。
所得税が税収全体に占める比率は1%弱でした。
少ないですね。
相続税ができた
1905年、相続税ができました。
1905年といえば日露戦争です。
相続税は戦費調達のためのものでした。
こうやってちょっとずつ税金が増え、近代税制の基礎が作られていきました。
大正~昭和初期は税制整備が進んだよ
税制の基礎が作られたあとは、既存税制の改正が進みました。
経済が発展したり、社会が変化していった時代です。(大正デモクラシー)
「椅子に腰かける少女」(大正時代頃)。大正デモクラシーの頃、職業に就いていた女性たちは洋装をしていましたが、少女の頃から洋服を着ていたのは主に上流階級の娘たちでした。写真館にてポーズをとって写真に収められています。書肆ゲンシシャでは少女たちの古写真を扱っています。 pic.twitter.com/tI3QPX3N9t
— 書肆ゲンシシャ/幻視者の集い (@Book_Genshisha) 2017年7月12日
税制改正で超累進課税が導入された
1913年(大正2年)は、税制改正年でした。
このとき、超累進課税率が導入されました。
所得が多い人ほど納める税率が高くなるシステムです。
それと同時に、勤労所得控除が創設されました。
現在の給与所得控除です。
こうやって、格差拡大への対応がなされていきました。
戦争に向けて、戦費調達のための税金が増えていった
昭和に入ると国は戦争モードへと突入していきました。
1937年に日中戦争が始まり、戦費調達のための税金が増えていきました。
以下の税金が追加されました。
- 1937年 揮発油税・物品特別税(後の物品税)
- 1938年 入場税(映画館や演芸場、劇場などの入場料に課されtる)
1940年に所得税が改正された
そうした状況下、1940年に所得税の改正が起こりました。
所得税の改正により、今までは所得税の一種として課税されていた法人税が、所得税から分離されました。
このときの法人税は税率18%の比例税率(一律で同じ税率)でした。
同年、給与所得の源泉徴収制度が導入された
所得税改正と同じ1940年、源泉徴収制度が導入されました。
これは、戦費調達の効率化を目的とされ導入されました。
この時にできた制度が、今も国税で最大のウェイトを占めるものになっています。
戦後はシャウプ税制改革が強かった
戦後の税金の歴史を見ていきます。
戦後はなんといっても「シャウプ税制」です。
シャウプ税制により、所得再分配が図られました。
戦争が終わってアメリカによる日本改革が進む中、アメリカは日本の税制に対しても改革を求めました。
そんな戦後・税制改革の流れをみていきます。
シャウプ勧告で税制改正が行われた
WW2の後、日本の税制に大きな影響を与えたのが「シャウプ勧告」です。
シャウプ勧告は、カール・シャウプ博士ら7人の学者によってまとめられました。
シャウプ博士らはGHQの招聘により、わざわざ来日しました。
1949年5月のことでした。
シャウプ勧告
GHQの要請によって1949年に結成された、カール・シャウプを団長とする日本税制使節団(シャウプ使節団)による日本の税制に関する報告書。1949年8月27日付と1950年9月21日付の2つの報告書からなり、日本の戦後税制に大きな影響を与えた。 pic.twitter.com/pnhjt0feby
— 久延毘古⛩陶 神帰月🌗 (@amtr1117) 2017年8月26日
シャウプ勧告により、税制改革が行われました。
シャウプ勧告とは 理念は「富裕層の富を低所得層に移転する所得再分配を行なって再軍備化を防ぎ、米国流の民主主義を定着させる」 目的は所得再分配機能の強化 直接税を中心にする(所得税が中心) 個人事業主や法人の申告納税を定着させる意図があった 富裕層向けの富裕税も設置するよう勧告 |
所得税が中心だったよ
シャウプ勧告のメイン目的は「所得再分配機能の強化」でした。
所得税には、超累進課税が適用可能です。
これにより、所得再分配を図りました。
また、所得税は直接税で、納税側としても「税金を取られている」という実感が湧きます。
この「あ~税金取られてる~」という感覚が大切でした。
これにより、国民が税に関心を持ち、社会や政治への参加意識が高まることが期待されました。
シャウプ税制はポシャっていった
シャウプ税制はどんどんポシャっていきました。(所得税中心の税制は変わりませんでしたが)
保守勢力の「これは日本に合っていないよ」という声に押されるなど、そういう時代の雰囲気があったからです。
1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効されました。
これにより、連合国による日本占領は終わりを迎えました。
このとき、「もう進駐軍の言いなりになる必要はないよね~」という雰囲気もありました。
保守勢力の発言力は強く、次第に保守勢力の都合の良いように税制は改革されていきました。
このように、時代の状況によって税金政策は変わっていっています。
高度経済成長期は税収をたくさん得ることができた
高度経済成長の税金の歴史を見ていきます。
この時期、経済発展しました。
直接税中心の税制で、税収も増えるばかりでした。
税収が増えすぎて、減税措置も取られました。
今となっては考えられないです。笑
高度経済成長期は所得税の減税がメインだった
戦後の混乱ののち、1950年台半ばからは高度経済成長期に入りました。
【高度(経済)成長】
飛躍的に経済規模が継続して拡大することである。— 現代社会BOT (@socialstudies04) 2018年11月12日
この時期、日本のGDPは年々増加しています。
もちろん、国民の所得も増加しました。ウハウハですよね。
税収は所得税が中心でした。
所得税は高所得な人ほど税率が高くなる「超累進課税」の性質を持ちます。
この高度経済成長×所得税という図式は、日本の税収を順調に増やしていきました。
逆に、税収が増えすぎたくらいです。
それにより、税金を国民に還元するという事態が起こりました。
所得税の還元です。
「所得税の還元」
これがこの時期の税制改革でした。
オイルショック以降、間接税も検討されることに
戦後はずっと好調だった日本経済でしたが、オイルショックで痛い目を見ました。
オイルショックにより、所得税や法人税では税収を得ることが難しくなりました。
そこで考え出されたのが、消費税です。
消費税により税収を得るシステムは、今もなお続いています。
消費税は今、税収の約20%を占めるほどになっています。
オイルショックで税収が足りなくなった
1973年の秋に第一次石油危機が起こりました。
オイルショックです。
オイルショック!!
— 富田じろうbot (@larigobot) 2018年11月11日
オイルショックのときの、トイレットペーパーなくなる騒動は有名です。
オイルショックの翌年、1974年は経済成長率が戦後初のマイナス成長を記録しました。
おかげで所得税や法人税が落ち込みました。
1975年には赤字国債が発効されるようになり、以降、毎年のように赤字国債は発効されています。
今国債残高は今では約960兆円(2018年5月現在)と、1,000兆円近くに膨れ上がっています。
直接税頼りの税収には限界が見えてきた
戦後の高度経済成長の時は、所得税や法人税など、直接税をメインにして税収を得てきました。
しかし、第一次オイルショックを経験し、「そのシステムだけじゃダメだな」と結論付けられました。
直接税に頼っていると、不景気になると税収が減ってしまうからです。
そこで、より安定した税収を期待し、新しいタイプの間接税の導入が検討されるようになりました。
1989年、その新しいタイプの間接税が導入されました。
消費税です。
当時の消費税は3%でした。
消費税は1997年に5%、2014年に8%になっています。
終わりに
近代税制の歴史を振り返りました。
現代の税金のシステムが出来上がっていった経緯、直接税中心で税制が組まれていった経緯、間接税が織り交ぜられるようになっていった経緯がお分かりいただけたかと思います。
時代は常に変化しており、それに合わせてシステムが検討されていった時代感を感じると面白いですね。
税制は今後も多様な変化を迎えていくことが予想されます。
いつの時代も、変化に対応できる人間でありたいですね。